2章・施設改革への出発田島良昭著・

01 】 橋下知事の国の出先機関廃止の切り札

 

1112日金曜日、近畿ブロック知事会議に出席しました。今回は大阪府が

議長役。大阪府咲洲庁舎(旧WTCビル)で開催しました。

 

この会議の最大の論点は「真の地域主権の確立」です。 地域主権の確立については、これまで近畿ブロック知事会や全国知事会で多くの議論を重ねてきましたし、国に対して様々な提案を行ってきました。しかし、国は今年6月の地域主権戦略大綱で出先機関の原則廃止の方針を決めたにもかかわらず、各省庁が抵抗し、結果としてはほぼゼロ回答。再検討を求めれば、地方に対して実現不可能な条件をつけ、「これでは出来ない」と地方に回答させ、「やはり地方には出来ないのだ」という論調をつくる。卑怯ですよ。本当に怒りを感じます。会議では、移管を勝ち取るため国から依頼を受けた事務を一定期間止めること等も考えるべきとの発言もありましたが、本年12月にも発足する関西広域連合で国の出先機関の財源、人員、権限、責任を「丸ごと引き受ける」ということを国に提案していくことで、意見が一致しました。移管の対象としては、厚生労働省が所管するハローワーク、河川や道路を管理する国土交通省の地方整備局、国立公園を管理する環境省の地方環境事務所、さらに経済産業省の経済産業局などがあがりました。

国は、出先機関を地方に移管できない理由として、都道府県を越えた広域的対応ができない、事務の取扱いが都道府県ごとにバラバラになる、専門性が確保できないということを理由にあげてきますが、関西広域連合で「丸ごと」引き受ければこれらは全部クリアできます。これでも無理だというのなら、どうすれば出来るのか対案を出して欲しいですよ。

近畿ブロック知事会では議長を務めさせてもらいましたが、実は私、こんな公式な場で議長役をするのは人生初。いつもはどちらかというと議事の進行やどのように取りまとめるのかなんてあまり考えずに発言しているのですが、議長役ではそんなわけにはいきません。議長役の大変さがようやく分かりました。

今回は皆さんがうまくフォローしてくださってハローワークや地方整備局等の

関西広域連合への丸ごと移管という「国の出先機関廃止の切り札」を打ち出せ

て本当によかった。今後につながる意義のある会議でした!

 

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02 】 知事に突撃インタビュー!

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 今週はお休みさせていただきます。

 

▼過去の「知事に突撃インタビュー!」はこちらから▼

 http://www.pref.osaka.jp/koho/doga/totsugeki/

 

▼その他の動画「大阪府ムービーニュース」はこちらから▼

 http://www.pref.osaka.jp/koho/doga/

2010年11月18日 8:57:00


2章・施設改革への出発田島良昭著・

施設解体宣言から福祉改革へ・障害を持つ人への支援も介護保険で

200491日ぶどう社 神田神保町―1

2章・施設改革への出発

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「人生への転機」

私は33歳の時、昭和53年に長崎県の雲仙で知的障害の人たちの施設を作って、それから20年近くそこに住み込んで、ずっと彼らと一緒に生活しながら、彼らを地域に送り出していく仕事をやってきました。

この26年間に、福祉施設と職業訓練施設の量トレーニング施設から約600名の人たちが職業意識的自立をして社会に巣立っていきました。

同時に、地域の中で暮らす場所を整備し、300名を超える人たちが通勤寮・福祉ホーム・グループホーム・社宅などに暮らしています。

そして、結婚生活や自宅での暮らしを含む、地域で暮らす人たちへの生活支援を強化してきました。

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更に働く場も、地域の一般企業に雇用されるだけでなく、支援付き雇用や福祉的就労の場を作り出し、さまざまな働く場を広げてきました。今では長崎県内4つの福祉圏域に、生活と就労と活動の支援をする地域サービスセンターを作って、離島を除く県内全域で約1000人の人たちが、「ふつうの生活」が出来るようになっています。

そして、私が50歳になる時、ふっと頭をよぎったのが、中沢健さんと堀田力さんという二人の方のことでした。中沢さんは、(現厚生労働省)の障害福祉専門官だった方で、50歳の時に退職されて、福祉の原点を自分で確めたいと言って、お父様が戦争中に亡くなられたマレーシアに移り住んで行かれました。

堀田さんは、法務省の官房長や検事として活躍された方ですが、やはり50歳の時に今までの仕事を辞められて、弁護士をされながら副詞の世界に大きく転進されました。

私の50歳というのは、浅野史郎さんが宮城県知事になって二年半ぐらいの時です。その間ずっと、浅野さんからは「宮城県に来て手伝ってくれ」と言われていました。

でも、私にとっては雲仙から離れるのは「死ね」と言われるようなものですから、非常に悩みました。しかし、二人の先輩方が50歳を機に新しい世界へ転進されたというのは刺激になっていましたし、それから浅野史朗さんと一緒に何かをやりたいという思いも強くありました。

それで、宮城県福祉事業団の副理事長ということで濃いという話だったものですから、思い切って転進をしたのです。

それで平成8330日に、長崎のみんなには「ちょっと行ってくるからね」といって、宮城県に移り住んで。翌41日に辞令をいただいて、事業団は県立の施設を預かりするところでいろんな施設がありますから、そこをグルッと見て回りました。

その日、私は三つの大きなショックを受けました。その一番目が、船形コロニーです。

コロニー 1 [colony](1)植民地。集団居住地。(2)障害者が一定地域で社会生活を営みながら治療・訓練などを受ける総合的な社会福祉施設。(3)()一地域をある程度の期間占有する同一種または数種の生物の集まり。植物では広く見られ、動物ではハチやアリのほか、魚類・鳥類・哺乳類などに顕著な例がある。()「群体」に同じ。()「集落(3)」に同じ

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船形コロニーは、500人の知的障害の人たちが入所している大型の施設ですが、それはもう昭和40年代頃の入所施設の姿がそのまま残っているようなところで。

私から見るとそこに入所している人たちの生活も本当に悲惨で、もうとっくの昔に消え去ったと思っていた入所施設の姿がそこにありました。

建物は鉄筋コンクリート、四人部屋でベッドが四個並んでいるだけ。カーテン一つなく私物も全くない。利用者の人たちのプライバシーや人権、あるいは安らぐ空間も、自分ひとりになる場所さえない。

その時、午前10半ぐらいだったのですが、廊下とか、部屋とか、今と称しているフロアのところに、何十人もの人がうごめいている。

全く「うごめいている」という有様で。これはもうコロニー雲仙の生活からいうと、二十年前か三十年前にタイムスリップしたような感じでした。これには、ウワッ!と驚いた。

「だれのための施設か!」

二番目は、敬風園という高齢者施設に行った時です。

そこは定員200人の特別養護老人ホームで、施設長が「ご覧ください。この建物は76億円かけて作ったんです。外から入るときは自動ドアーでスーッとは入れます。

しかし中から出ると時は暗証番号を押さないと出てこれないようにしてあります」と自慢げに説明します。

それから大きなガラス窓のところに広い廊下があって、いすがいくつか並べてあって、お年寄りが座っている。そこに春の陽がサンサンと入ってくるわけです。

すると、一人のお年寄りが机をずっとたたいている。私は太鼓の練習をしておられるのかなと思いました。

というのは、コロニー雲仙の太鼓の好きな人たちはよくそうやって練習をしていたのです。それで「太鼓の練習ですか?」と聞いたら、ふっと私のほうを向いて「ちがう」と。

「どうしたんですか?」と聞いたら、「出たい」と言うのです。

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外は春の陽が輝いている。そんなとってもいい日に、外へ出してもらえない。出られないように入り口は開け閉めできないようになっている。

それを自慢する施設長。それが不満で一日中机をたたいておられるお年寄り。これは一体なんだ!76億円もかけて、これだけの建物や設備を作って、そこで生活をしている人たちは、全く「特別の場所で、特別の生活」を強いられている。

本来、事業団の施設というのは地域を先導するような先駆的、モデル的な事業をやることになっています。その中身がこれでは一体何だ!これはしっかり見直さなくてはいけないと思いました。

三番目は、お金根の問題です。

事業団の施設には県の財政から23億円も持ち出されているのです。当時は措置費ですから、われわれ民間の施設は措置費の収入の範囲内でやってきたわけです。

ところが事業団の施設は、措置費の他に23億円も使っている。宮城県の人口は240万ですから、県民の皆さんは一人当たり約1000円余分に負担していることになる。

それだけお金を使っている県立施設のサービスの中身が、なんとひどいのか!

他にも身体障害者療護施設、知的障害児施設など、建物も中身のサービスも、ただ「お粗末」としかいえないような施設がいくつもありました。

一見見ただけで思わず、「ごめんなさい」と、利用者人たちに謝るしかないような施設です。これは何とかしなくちゃいけないと思いました。

まさにその頃、平成8年に介護保険法が成立し、今までのような福祉の仕組みではなくて、新しい仕組みを作る必要がある。

それには基本的なところから作り変えなくてはいけないという、福祉の基礎構造改革の議論をやっていた真っ最中です。

それは、われわれが長い間主張してきたことです。ところが、そこで議論されている福祉のあるべき姿と、現実の福祉では、こんなにも違う!

31n11/4/2005 11:37 AM

私は強く「こんな施設では人間を幸せにすることはできない」「こういう施設は止めよう」と思いました。

私が負う思ったのは、ひとつに、コロニー雲仙の実践の中でずっと追求してきて、ある程度実現してきて、その時点ではもう、地域生活を支える仕組みや方法は相当出来上がったという認識を持っていたからです。

もう一つは、法律や制度もそういう方向をめざして、わが国の障害福祉は変わってきていると思っていた。

しかし実際は、そういう新しい福祉を利用できている人たちというのはまだまだ非常に少ないのだと気づかされたのです。ですから、平成841日という日は、私にとって大きな転機となった日なのです。

「死なないと施設から出られない」

船形コロニーの施設を回ってみると、医療者の人たちはみんな、建物の仲でウロウロウロウロしています。

「この人たちの日課は何ですか? 」と聞いても、ほとんどない。職員はトイレの介助とかで走り回っていて、利用者の人たちはボウッとまるで幽霊のように歩いている。

そこで総合施設長に聞いたのです。「去年一年間で、船形コロニーの500人のうち何人が、この施設から出て行けたんですか?と。

それで調べてくれて、「八人出ました」と。コロニー雲仙では平成7年度は、100人中16人が地域に出ています。それと比べつと、なんと少ないんだろうと思いました。

「本人の出たいと思っている人はいないんですか?」と聞くと、「どうでしょう」というような話で、「じゃ、八人の人たちはどんな風に社会に出て行ったんですか?たとえばグループホームに移ったとか、就職して自宅へ帰ったとか、いろいろあるでしょう」と言ったら、また調べてくれて、「全員死亡です」と。

ほとんどの人が病院に行って亡くなられている。そんなに高齢ではなくて50代から60代の人たちです。

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「その人たちは何年間、この施設を利用したんですか?」と聞いたら、平均で23年ということでした。

そこには総合施設長とか各施設の園長たちもいましたので、私は聞いたのです。

「亡くなった八人に対して、あなたたちはなんとお詫びを言ったんですか?」と。

そしたら、ほとんどの園長が、エッ?と。そして総合施設長が私に「なぜお詫びを言うんでしょか。家族からお礼を言われることはあっても、われわれがお詫びを言うようなことはありません」と言うのです。

これには驚きました。

「あなたたちはプロじゃないんですか?給料をもらっているんでしょ」。そしたら「もらってます」と。「じゃ、あなたたちは一体どういう意味で給料をもらっていると思っているんですか?」とたずねました。

われわれの仕事はまず、障害を持つ人たちが、どんな思いをしながら、どんな願いを持って、この施設で生活をしていたのかを分かろうとすることから始まるのではないですか。

そこが全く分かっていない。

23年もここで生活してきて、きっと本人たちは、ああしたい、こうしたい、いつかの施設を出て家に帰りたいとか、お母さんと一緒に生活をしたいとか、いろんな思いを持っていたと思います。

施設から出たいという願いが、棺桶に入ってからようやくかなえられたというのであれば、専門職員なんか要らないじゃないですか。

それが一方で、県民から一人当たり1000円も余分にいただかなくてはならないような、高い給料をもらっている職員が、利用者の人たちの痛みや、夢や、願いを全く考えていない。

もし考えていれば、「ごめんなさい」と出てくるはずです。

「私たちに力がないから、あなたたちが生きている間に願いをかなえてあげることが出来なかった。本当に申し訳ない」というのが普通じゃないですか。それを、施設の人間は普通と思わなくなってしまっている。

こんなのを福祉というのか!一体福祉とは何だ!非常にそう思いました。

33n11/5/2005 11:06:47 A

「これはもうだめです。こういう仕組みで、こういうやり方で、こんな考えの人たちがやっているものを、福祉というのは止めましょう」というのは、そのときの私の思いでした。

それで代表として総合施設長に、「あなたの考えではダメです。そういう考えで総合施設長をやっていくのなら、あなたは要りません。

辞めなさい」と言いました。

それと高齢者施設の施設長にも、「こういう建物は不愉快です。私はこんなものをちっとも立派だとは思わない」と言いました。

その日の夕方、事業団の事務局に戻ると、「知事から電話がありました。来いという話です」というので、「私も行きたい」と。

浅野知事のところへ行きましたら、知事が「もう辞めろといったんだって」といいますので、「もう聞こえましたか」と。知事が「とにかく半年ぐらいじっくり見てはどうか。

それから言うことはいうべきで。今日行って、もうそういうことを言うのはどうか」というわけです。

それで、「少なくとも知的障害の人たちのことについては、私はプロです。その私が見て、これではダメだということは率直に言わないと。だって、今までやってきたことでいいと思っているんですから。

それで自分からの役割を果たしていると思っているんですから」と申し上げました。

理念とか哲学がすごく大切じゃないかと思うのです。単なる事務的な取り扱いで済むようなことではない。

人人の、心と心のふれあいみたいなものがすごく大切なんです。ですから、障害を持つ人たちの願いをしっかりと知るところから始めないといけない。

特にリーダーは、きちっとした理念をしっかり持ってやらないといけない。ただ漠然と保護していますというようなものになってしまってはいけない。そういうことがあって、特にリーダーに対していったわけです。

「しっかりやってもらわないといけません」と。知事もそれは分かってくれましたけれど、「短兵急に結論を出すべきではないのではないか」と注意を受け、私も、「注意は分かりました」と申し上げました。

34n11/6/2005 12:46:43 PM

「しかし、あれはおかしい。本当に県民の皆さんが、あんな中身を望んでいるのですか。これは私だけじゃなくて、もっと多くの人たちが実態を見て、そして判断すべきだと思います」。

「知事は今の船形コロニーをどう思っているのですか?」と聞きました。

知事室に船形コロニーの写真がかけてあって、

浅野知事はその横に立って顔を作りました、自分の思いの顔を。「ハハア、知事の気持ちは分かりました。ならば知事も含めてきちっとみんなが宮城県の誇りと思えるようなものにしましょうよ」と申し上げたのです。

「仕事に自信と誇りを持てていますか?」

最初にガチンとぶつかった三つの問題が、後々まで、船形コロニーの問題をどうするかというところで大きなテーマとなりました。

そして結局それが「船形コロニー施設解体宣言」につながって言ったのです。一つ目は、入所施設の中で過ごしている知的障害の人たちの、あの不幸な姿、何の夢も希望もなく、ただ生かされているだけの生活。

これは変えなければならない。

二つ目は、地方の高齢者がどんどん増えて、そういう施設もあるのですが、そこは高齢者が長い人生を歩んでこられて社会にいろいろ貢献をされてきた人がたどり着く場所としては、あまりにも悲惨な感じを受けました。

もっともっと一人ひとり大切にされるべきではないか。高齢者たちが最後の最後まで光り輝くような人生を、長年住み慣れた場所で暮らせる地域社会を、どうやって築き上げていくか。

三つ目は、財政的に非常にコスト高になっているけれど、そのコストに見合うだけの、先進的な、モデル的な福祉を作り出しているのか。

本当に質の高いサービスを提供しているかという問題です。

これは逆に言うと、負担と給付の問題になります。県民がどれだけの負担をしているか、それに見合う質の高いサービスを受け取っているのか、ということです。

35n11/6/2005 2:00 PM

これら三つの問題が根底にあって、私は「このままでいいんですか?」と提起したわけです。

そのあとも船形コロニーの各施設を見て回って、「あなたたちが今やっている仕事は、はっきりいって30点です」と、点数をつけていきました。

そのときの基準は何かというと、それは私が今までやってきたコロニー雲仙での取り組みです。

これを基準にしてみると、船形コロニーでやっていることは30点ぐらいです。

これでは、県立施設は先進的で、モデル的な事業をやるという観点から見ても問題があります。

それと、職員の人たちも、「あなたたちは、本当に自分の仕事と誇りを持てているんですか?」と問いかけたのです。

それから事業団自体も、創立から30年以上たっているわけですから、基本的なこの組織はこのままでいいのかということを検討する必要がある、と提起したのです。

その前に、私が30点といったものですから、職員の人たちから相当ワーワー出てきました。それで、「反論なり、ここはこうしたほうが言いという意見があったら、ドンドン出してください」と言いました。

そしたら270近くの意見がワーッと上がってきた。それを見て驚いたのは、エッ、こんなこともしてないのか」。

そういうのは「明日からやりなさい」と、「即できる」というのが100ぐらい。それから、「これは検討しましょう。

ちょっと工夫すればやれるのではないか」というのが60ぐらい。後は予算を伴うとか、気候を治さないと無理かなというのが50ぐらい。その他、私から見れば「何を言っているんだろう」と思うもの。

たとえば、「もっと給料を上げろ」「もっと急速時間を増やせ」というもものもありました。

しかし、合わせて220ぐらいのものは「なるほど」と思うような意見で、それは率直に言って驚きました。

「ああ、事業団の職員の人って、これだけいろんなことを思っているのか。今までどうして出てこなかったんだろう」。それはやはり阻止字自体にいろいろ問題があるのではないかと思ったのです。

36n11/6/2005 6:07:53 PM

「職員自ら「あり方検討委員会」

その頃、基礎構造改革の議論がかなりされ、介護保険実施の準備の中で浮上してきたいろいろな問題についての議論もされていました。

そうやって、福祉が大きく変わろうとしていたのです。

ですから職員の人たちに言ったのは、やがて大きな嵐が来る。そういう「福祉のビッグバン」みたいなのが起ころうとしている時に、事業団は30年前に作られた組織のままでいいんですか。

それを含めて、職員の中から代表を出して、「あり方検討委員会」を作って話し合いをしてはどうかと提案をしたのです。

それで、20代、30代、40代の職員の代表、組合の代表、それぞれの障害のところや高齢者のところの代表、いろんな人たちが集まって、合わせて40人の「あり方検討委員会」が作られました。

その委員のところには、それぞれ仲間や同僚、先輩や後輩がいますから、そこの意見を一人ずつ集めて、各部門の端々から出されたものを持ち寄って、検討委員会にかける。

それをいくつかの部会に分けて、事業団の組織はどうするのか、知的障害の部分はどうするのかと議論をしていく。そうやって平成八年六月から平成九年八月まで約一年二ヶ月かけて、月に三回から四回、みんなで集まって検討を詰めていきました。

そして、平成九年九月にそれらをまとめ、十月に浅野知事と県会議長に対して要望書を出したのです。

これは職員の人たちで「あり方検討委員会」を作って、事業団はどうあるべきか、事業団の施設はどうあるべきかを、自分たちで議論し検討したものです。それで、事業団はこういう方向でいきたいと考えておりますので、知事にも、県会議長にも、ぜひ力添えをいただきたい、という要望書です。

その中に、「船形コロニー改革案」というのがあります。船形コロニーは定員500人ですが、平成九年から名平成十九年までの十年間で、その中の三五〇人を施設から出して地域へ移行させようと。

三七n11/7/2005 6:30:33 AM

そして残りの150人には手厚いケアをしようというものです。残りの150人というのは重度・高齢の人たちのことで、この人たちは今すぐ地域に出て行くのはなかなか難しいのではないかと考えたわけです。

実は、私はそれには物足りないと思いがありました。しかし、ここは私の意見を押し付けるのではなく、職員の人たちがみんなで検討したものを出すべきだと思い、これを事業団の案としたのです。

「物足りない」というのは、「なぜ150人を残すのか」ということです。これは、障害の軽い人は地域に出せるけど、障害の重い人は無理だという考え方です。

しかしそれが、重い人だけでなく軽い人まで「施設で終身保護する」にしてしまった原因の一つではないかと、私は思っています。

そういう考え方が結局、500人中八人しか出せなかったような状況を作ってきた。

その障害の重い軽いの基準もすごく中途半端で、結局あの人も出ない、この人も出れないとなってしまい。本来いろんな能力を持った人たちの力を伸ばすことをせずに、その人たちの施設入所を長期に続けさせてしまった。

しかし、実際に10年間で三五〇人を地域へ移行させることになれば、年間30人から40人の人たちが施設から地域に出て行くことになります。

それは今迄から比べれば相当の進歩です。私としては妥協しました。まずは出来るところからやろう。それには職員の人たちがやろうという気持ちにならなければ無理だ。

まず外に出て行く窓口を開くことから、回転させていくことから始めようと。

「ノーマライゼーション宮城」

ちょうどその頃、浅野県政が二期目に入って、本格的にきちっとした福祉の中・長期的「夢プラン」を作ることになりました。

38n11/7/2005 3:21:27 PM

「夢プラン」は、赤ちゃんから高齢者までの福祉トータルプランです。そして、「夢プラン」の土台になるのはやはりノーマライゼーションの理念をどう実現するかです。

実は、平成六年に浅野県政が始まって半年目に大きな嵐が起こりました。それは「三本木構想」といわれるもので、仙台市の北の三本木町の30万uの広い山の中に、障害を持つ人たちのいろんな福祉施設を一ヶ所に集めて、総工費六百六十億円ぐらいをかけて総合福祉施設群を作るという構想です。

これは前任の知事のときに構想されたものなのですが、途中で知事選があって、企画計画書を受け取る知事が変わったわけです。

しかも、これを進めるべきだという答申が、浅野知事の初出勤の日に出された。

しかしこの構想では、いろんな障害を持つ人たちを一ヶ所に集めて、結果として「特別な区域」を作ってしまうことになる。

それに対して浅野知事は平成六年議会に、この構想を止めて見直すという案を出しました。それは、これからの福祉はノーマライゼーションの理念に基づいて進めなくてはならない。

障害を持つ人だけが住むような特別の区域を作るのはノーマライゼーションの理念に反する。そういうものは浅野権勢ではやらないということで、見直し案を出したわけです。

そこで大騒ぎになりました。敬議会はいったん議決し、着工に向けての予算も承認され、実行されて二ヶ月もたっていないのに、見直しとはどういうことかと。

非常に議論になりました。

ノーマライぜーションとは何かというのを、県議会で口角泡を飛ばしてやったというのは、きっと全国でも他に例がないと思います。

県会議員さんたちは、ノーマライゼーションについて勉強もされ、活発に議論され、結果として「見直し」ということになりました。

すなわちこの時、宮城県は「ノーマライゼーションの理念に基づいて福祉をやっていく」ことを高らかに宣言しているのです。

39n11/8/2005 2:48:31 PM

ノーマライゼーション [normalization][1] 正常化.通常化.〈現〉[2] 福祉の基本理想の1つ.障害者や老人が特別な存在と見られることなく,ふつうの人間として扱われること.〈現〉

そうであれば当然、船形コロニーのあり方についても、ノーマライゼ−ションの理念に照らしてどうか、500人の知的障害者の人たちがあそこまで生活をし続けることが本当に望ましいことなのか、という議論をしなくてはいけないでしょう。

「コロニー雲仙の自立訓練棟に学んで」

そして船形コロニーの第一線の人たちが、まずここから始めたいといって出してきたのが、「自立訓練」からやろうということでした。

つまり、入所施設の利用者を入所措置したままで施設の外に出して、そこで地域で生活するための訓練をやろうということです。

それから職員の人たちが続々と、コロニー雲仙に見学に行きました。やはり、「百閧ヘ一見に如かず」で、コロニー雲仙に言った人たちは、今まで自分たちがやってきたこととのあまりの違いに相当ショックを受けたようです。

ほとんどの人が帰ってきてしばらく呆然としていました。

今までもスウェーデンとかデンマークには、研修で結構行っていました。でも、凄いなあとは思っても、それはよその国のことで。

感動はしても、日本に帰ると夢が覚めたようになって、夢と現実の違いみたいにとらえられていたのだと思います。

ですから、デンマークで見たことを日本でやってみようとはならなかった。

せっかく海外研修してもなかなか生かされなかったのです。ところがコロニー雲仙に行ったら、同じ国で、同じ法律で、同じ制度で、同じ仕組みで、同じ言葉をしゃべっている人間が、凄いことをへっちゃらでやってしまっている。自分たちが深刻に思っていることをコロニー雲仙の職員に質問してみたら、いとも簡単にけろっと言われてしまった。

事業団の職員の人たちは基礎能力の高い人が多いですから、法律的にはどうか、労働条件にはどうかと一つずつ検討して、それが全部クリアされないと動かないというようなところがあったのです。

ところがコロニー雲仙の職員に聞いたら、「そんなの全然関係ない」と言われてしまった。

4011/8/2005 7:37:45 PM

一番ショックを受けたのは、「あなたの給料はいくらもらっているのか」という質問を何人もの職員に聞いてみたら、「自分の給料は良く見たことないから、分からない」という職員がたくさんいたそうです。

自分の給料がいくらなのかよく知らないって、平気でそういう人たちの神経がわからないと言っていました。

それは、その人たちの価値観もあるのでしょうけど、自分の給料がいくらで、手当てがいくら増えたとか減ったとか、労働時間が増えたとか減ったとかということを大きな問題と考えている人たちと、そんなことはほとんど考えていなくて、自分の担任の○○さんはどんな夢を持っていて、どんな希望があって、どうしたら幸せになれるだとうということしか関心のない人たちとが出会って、ある茶―ショックのようなのが起こったみたいです。

それに反発した人もいました。コロニー雲仙の職員は働きすぎではないか、あれは職員が相当無理をして犠牲の上に成り立っているのではないか、だから見習わないほうがいいといった人たちもいました。

それは、その日とその人の受け止め方ですから、一概にどっちがよくて、どっちが悪いとはいえないでしょう。

しかしそうやって、だんだんコロニー雲仙に実習に行った人たちが増え、その人たちが撮ってきたビデオが持ち込まれ、いろんなノウハウが持ち帰られたりして、コロニー雲仙の取り組みが具体的に、目に見えるものとして、みんなの目の前に出されてくると、やはりずいぶんみんな変わってきました。

そうやって少しずつ少しずつベールがはがされるように理解が進んでいくと、「自分たちにだって、出来るじゃないか」というのが出てきたのです。

41n11/8/2005 7:51 PM

「身体拘束がこっそりされていた」

ところが、私が着任して二年目ぐらい、船形コロニー改革の最終案が出された頃に、びっくりすることが起きました。

というのは、うちの家内が船形コロニーを見学に行ったのです。帰ってきてその話を聞いて、私は一つ引っかかったことがありました。

というのは、「夜は昼間のおしめの三倍ぐらい使うので、おしめのやりくりが大変」という話です。

それで私は、「エッ、昼と夜とのおしめの量が三倍違う?それはおかしな話だね」と言いました。理事長の私のところには、船形コロニーではおしめを何枚使っているかなんていうのは報告がありません。

私はそんなこと全く知らなかったのですが、凄くそれに引っかかりました。ふっと思ったのは、もしかしたらこれは身体拘束をしているのではないか?ということです。

昔、ある施設の施設長が、夜になると、みんなおしめをして身体拘束をしてしまう。そうすると人手が少なくて済むぞということを、自慢タラタラ話したのを聞いたことがあって。

その話を聞いて、「ひどいことしゃがあるな」

と思ったのです。その話を思い出して、凄く引っかかったのです。

そこで事業団本部の副支部長に、夜の十時に施設に行って、総点検してくるように言いました。各部屋をザーッと見て、おしめしているのはどんな人がやっているのか。

それで何かあったら写真を撮ってくるようにといって、抜き打ちで生かせました。

翌日報告に来て、写真を見たら、身体拘束をされて、おしめをされている人たちが、ゾロゾロ出てきた。

まさに拘束体を使って身体拘束をして、ベッドにくくりつけている。それが全体で20人近くありました。

42n11/8/2005 8:40:50 PM

昼間おしめしていない人が、夜になるとおしめをされている。そして身体拘束をされていたわけです。

私はその日、「全員調査しなさい、そして申告をしなさい」と言いました。一方で、「一週間時間をあげるから、その間に拘束を全部止めなさい。でなかったら給料を払わない」といったのです。

みんな、「あれで出来ない、これで出来ない」と、いろいろ理由を言ってきました。「分かった、拘束をするならそのままやりなさい。ただし給料は払わない。

なぜかというと、拘束をするような職員を専門職としては認められないからです」と言いました。

それは、われわれの誇りの問題です。専門職としての誇りがあるなら、最低、拘束だけはしてはいけない。

なぜ拘束がいけないかというと、自分がされて見なさい。自分が身体拘束されて、おしめをさせられる。それはもう何よりも悔しくて嫌なことです。辛くて、悔しくて、人格まで傷つけられるような行為、それが拘束なのです。

そういう拘束だけは、専門家としてやってはいけない、と言いました。

そうすると、「嘱託医が、いいと言った。こうやって書類もあります」。私は「断りなさい、そんな医者は。すぐ替えなさい、そんな医者は」と言いました。

そしたら、大学病院から来ていただいている嘱託の医者は、「自分は拘束は反対です。だから自分は書いてない」といった人がいるのです。本人に聞きました。

その医者は「前任の人は、いいと言ったのかもしれない。しかし自分はいけないと思う。だから私は許可を出していません。これは私の名前じゃないでしょう。

たぶん何年か前のではないですか」と言ったのです。そういうきちっとした医者もいるわけです。ところが、何年か前の前任の医者が書いたものを後生大事に取っておいて、身体拘束をやっている。

「一週間以内に拘束を全部取らなかったら、給料を払わない」と言ったら、組合が「誰と誰に払わないのか」と言ってきた。

「全員です」。「全員とはどういうことか」「船形コロニーの職員全員です」と。

そしたら、ちゃんと拘束を全部止めました。その代わり現場の職員は、当直制を夜勤制に切り換えるとか、しかるべき工夫もちゃんとしたわけです。

43n11/9/2005 3:51 PM

「人権の観点から利用者の人を見る」

こうして身体拘束をめぐって、職員の人たちと私の間でものすごい戦いがありました。しかし結果的に、それが職員の人たちにとって、人権という観点から利用者の人たちをしっかり見る契機となったと思います。

職員の人たちの中にも苦しんでおられた人たちも相当いたのです。これでいいのかと思っている人たちがいた。ところが施設という世界には、そういう良心的な人たちが案外ものが言えない雰囲気があるのです。

ある面では、利用者を保護するという目で見たほうが仕事は楽で、身体拘束もしたほうがうんと楽です。そういうところが施設にはある。だから恐い。

これはこの後の話なのですが、船形コロニーの改革を実行していく中で、事業団直営だった二つの施設を民間の法人に移し、県立直営の二つの施設を事業団に移す、入れ替えがありました。

その時、敬友学園という県立直営の知的障害者施設が事業団に来ることになった。

ところが、そこでも身体拘束がやられていた。それで、われわれが引き受けるまでに拘束を解除してくれと申し入れをしました。

しなかったら公表しますよというぐらいやりあった。相当努力をした人たちもいたのですが、結局、職員の意見が二つに割れて、身体拘束は命を守るために必要だという職員もいたり、今の勤務体系ではそうせざるを得ないという職員もいて、なかなかうまくいかなかった。

しかし、これもわれわれが引き取って即、拘束を全部取ってしまいました。

44n11/9/2005 6:14 PM

こういうことが現場で次々と起こっていって、そのたびにみんなで議論していったのです。われわれの仕事というのは本当に、この人の幸せって何だろうと、みんながじっとその人を見つめて考えるところから始まるのだと思うのです。

この身体拘束の是非は、世論も巻き込んで県議会や専門家の間でも大激論になり、私に対する批判にまで発展しました。

身体拘束を廃止した後、船形コロニーと敬友学園で、二件の死亡事故が起きたのです。

船形コロニーでは、数時間前に入所されたばかりの人が寒い冬の夕方、所在不明になられ、徹夜の捜索もむなしく、明朝、近くの山の中で凍死されておられたのが発見されました。

これに対して、精神病院を退院して直接、船形コロニーに入所されたので、慣れるまでカギのかかる部屋で空間拘束をすべきだったのではないとか、身体拘束をしておけば命を救えたのではないか、という意見が出されました。

敬友学園では、風邪のため入浴が出来なかった児童が窓からこっそり浴室に忍び込み、一人で入浴中にてんかんの発作を起こして水死されたのです。

男子の入浴が終わり、女子の入浴に切り替わる十五分の間のことで、カギのかかっていない窓が一ヶ所あった。

この人も半年前まで県直営の施設の時は、空間拘束と身体拘束をされていました。

このような事故が起こると、マスコミでも大きく報道され、身体拘束が必要な人もいるというような発言をする人も出てきます。

両事故とも、私が理事長談話を出し、「事故に対する反省と、原因についての検証は十分します。しかし、利用者を拘束し、自由を奪い、人としての尊厳を傷つけるようなことは今後もしません」と申し上げました。

それに対して、「反省が足りない」とのお叱りもいただきました。私は今もなお、身体拘束は福祉の現場ではあってはならないことでと考えています。

45n11/9/2005 7:40 PM

「職員の心は揺れ動く」

一方、職員の人たちの中には、地域移行が進んで利用者の人たちがどんどん地域へ出て行ってしまって、施設に利用者の人たちがいなくなったら、自分たちの仕事はなくなってしまうのではないか、そうなると自分たちはどうなるのだろう、という動揺も起きました。

それは「もうあなたたちは要らない」といわれることですから。

そうしたら居間までやってきたことは一体何だったんだと不安な気持ちになり、職員の人たちは自信や誇りを傷つけられることになります。

ですから、船形コロニーの職員の人たちの将来をどうするのかというのは、非常に重要な問題でした。

一方で、宮城県の「夢プラン」作りが進んでいました。「夢プラン」を作っていく議論の中でのキーワードの一つは「メンタルな障害」です。一つは地方の高齢者がどんどん増えている。もう一つは精神障害の人たちへの福祉を何とかしなくてはならない。

この二つに、誰が・どこで・どういう形で対応していくのかという問題が出てきました。

当時、高齢者の専門職員は、身体介護を中心に養成されていました。それはずっと寝たきりの高齢者をどうするかがメインテーマだったからです。

身体介護の養成は、食事介助とか、入浴介助とか、おしめを替えるとか、床ずれしないように体位を変えるとか、あるいは移動するときの介助とか、こういう生活に伴う身体介助については、比較的短期間の実習で技術を取得できます。しかし、寝たきりの高齢者の中でも重い人たちは、痴呆、つまりメンタルな障害を重ね持つ人たちです。

メンタルな障害になると、たとえば心理学をしっかり勉強しなくてはいけない、特に臨床心理が必要です。しかも、人と人とのふれあい、心と心のふれあいというのは、その人の全人格が出てくるようなところがあります。

46n11/9/2005 8:15 PM

そういう人材の養成には高い専門性が要求され、経験や知識が必要で、育てるのに時間がかかります。

ところが、県内のどこにそういう人たちがいるのかと探してみても、たとえば全ての市町村に社会福祉協議会(社協)はありますが、そこにメンタルなことが分かる専門家はほとんどいません。

そうしたら、痴呆の高齢者や精神障害の人たちから、サービスメニューに対するニーズが出された時に、一体どこで、だれが、その人たちを支えるのか。あるいは、誰がリーダーになって、次の世代を育てるのか。

そういう人材がほとんどいないという状況でした。これをどうするかが、大きな課題になりました。

「新しい役割に気づいてほしい」

そこで私はふっと、船形コロニーには260人の職員がいて、その人たちは知的障害の人たちのお世話を長年やってきて、経験も知識もしっかり持っている、しかも基礎学力も相当高い人たちです。

この人たちが持っている力が生かせないだろうか、ということに気がついたのです。

一方で、事業団の「あり方検討委員会」の議論では、職員の人たちから「利用者がどんどん少なくなっていったら、自分たちの仕事がなくなるのではないか」という不安が出されていた。

もう一方で、宮城県の「夢プラン」を作る議論では、痴呆症の高齢者や精神障害の人たちを支えるプランを作っても、それを実行する人はどうするんだという問題が出されていた。

この両方が、つまりお互いが相手のことに気がつけば、この問題はうまく解決することが出来るわけです。そのことに、みんな気づいてほしい、私はそう考えました。

47n11/9/2005 8:38:06 PM

船形コロニーのげんばでも、地域移行が進めば、それで余る職員が出てくるのではないか。自分たちの仕事がなくなるのか。

あるいは「リストラ」なんていう言葉が飛び交い、動揺が起こっていました。そこで私は「これはリストラどころか、今の何倍も大きな役割が、あなたたちにやってくるんです」と話しました。

事業団の各施設の職員の人たちの出来るだけ小グループの現場に直接出かけていって、「基礎構造改革はこんな風に進む。

そして平成十二年には介護保険がスタートする」という話から始めたのです。

ところが、「基礎構造改革って何ですか?」「介護保険って何ですか?」で。私が「これからの福祉は大きく変わっていく」といっても、誰も信用しない。

職員たちはみんな、ヘエーといっているだけです。しかし、わが国の福祉がこれからそういう方向に行くということが新聞報道にも出てくると、職員の人たちもだんだん、「もしかしたら、こいつが言っているのは本当かもしれない。もしかしたら、自分たちの仕事がなくなるのではなくて、新しい役割が待っているのかもしれない」と考えられるようになって来ました。

特に力のある人たちや、熱心でやる気のある人たち、今までもいい仕事を求めてきた人たち、そういう人たちが、「そういうものを実現させたい」ということを言い出したのです。

ですから、「あり方検討委員会」の議論も、平成八年から九年にかけてだんだん熱気を帯びてきました。

そうやって職員の人たちが、改革の方向性とか、自分の果たす役割に気づいていくことが凄く大切です。

そのことに気づいていくと、気持ちに余裕が出てきます。そして不思議ですけど、本当に一人ひとりの利用者の幸せを考えるようになります。

自分の将来に不安を持っていると、どうしても自分のことを先に考えてしまう。これは仕方がない、人間みんなそうだと思います。

そういう弱さを持っているのが、人間ですから。そして、「この人にもっと幸瀬になってもらいたい」という気持ちになると自然と、入所施設の中での井蛙kつには限界があると気づいていくのです。今、職員の人たちに聞いたら、ほとんどの人が高い確立で、「一日でも早く自立できるようにしたい」と言うと思います。

48n11/10/2005 9:20:43 AM

職員の人たちは、親や家族に、「こんなことも出来ます。こんな方法もあります。だから何とか次のステップを踏ませましょう」。

「後々まで、自分たちが後ろから支えていく役割をしますから。決して、お母さん、お父さんに心配をさせるようなことはありません」と。親と職員の人たちの話が、利用者のA君とかB子さんを間に置いて、非常にきめ細かい、前に前に向けての話になっていったのです。

そこではじめて、地域の受け皿をどう用意していくかの話になるわけです。制度を作って、グループホームを作れば、地域の受け皿が出来るというのではないのです。

施設があって、何か支援のシステムを作れば、それで受け皿が出来るというのではないのです。一番大切なのは、自分たちが支えていこうという人たち、この人にもっとより幸せになってほしいと、心からそう思える人たちが現れることなのです。

そこが省略されると、財政とか、行政改革とかのためにやっていると誤解されてしまう。現場で働いている職員の人たちは、有難う事に、きちっとした志を持っている人が多いものです。ただ、職員の人たちが、自分の思いや願いを、あるいは志を実現できるような環境になっていない。

これはやはり、施設の経営者たちに問題があるのではないかと思います。

経営者は直接処遇をしていませんから、障害を持つ人に直接関わる幸せとか喜びとか、そういうものに共感できるところに至っていない。

だから、そういう喜びを一番分かっているのは、やはり施設の第一線の職員の人たちで、その人たちは共感することが出来る。

しかし、経営者や管理職の人たちは現場から離れているから、なかなか伝わってこない。だからこそ、リーダーは「高い志」をきちっと持つべきだと思います。

それは、どうしたら、みんなが幸せになれるかということをきちっと考えることでと思います。

11/10/2005 9:43:18 AM



     午前・・・・・美作市合併記念式典

   午後・・・・・第15回岡山県学童保育集会   7日<岡山日程> 午前・・・・・おはよう730民主党です(岡山駅西口)

1031() 駅前街宣、上京、憲法総会、コーラス、国の…今日は7時半から、恒例の駅前演説「おはよう730、民主党です!」に参加し、

30分ほど、今年の政治の動きを概観しました。通常国会は、参議院では私の代表質問で始まり、大型連休後からは郵政法案の審議も始まりました。都議選で民主党は33名当選という成果を挙げましたが、郵政法案の参議院否決の後、総選挙では小泉劇場に煽られ大惨敗を喫しました。特別国会で郵政法案は成立しましたが、その参議院本会議で、障害者自立支援法案が可決され、小泉政治の冷たさが象徴的に示されました。前原執行部の課題は、この小泉政治の性格をあぶりだし、これと本質的に異なる政治の道を示すことだと思います。

9時過ぎの新幹線で、上京。13時から、若干の挨拶まわり。国会コーラスへの支援のお願いです。14時半から、民主党憲法調査会の役員会。15時から2時間、同調査会総会。私も顧問として、終始議論の聞き役を務め、最後に、これまでの審議経過と自民党憲法草案の動きに触れて、ぜひこの段階で私たちの憲法提言取りまとめに同意してくれるよう発言しました。提言は了承されましたが、まだまだ議論が詰まっていないところも多く、提言をたたき台にしながら、党の内外で憲法論議を起こしていかなければなりません。

18時半から、遅れて国会コーラスの練習に参加。19時半に中座して、国のかたち研究会の夕食懇談会。民主党の現状につき、懸念の声が続きました。

111() 役員会、総会、本会議、常幹、自民3役、両院懇、青年会

今日は特別国会最終日です。85分から1時間強、役員会。前原代表の挨拶の後、鳩山幹事長から党大会日程の変更などの懸案につき報告があり、衆参ともに野党3党で本日、臨時国会召集要求をすることを決め、選挙総括案につき意見交換しました。最後に私から、昨日発足した小泉改造内閣に対し民主党が肯定的に臨むような印象を与えるのは適切でないことなど、若干の発言をし、対決姿勢に変化はないことを確認しました。この国会で民主党が提出した法律案は、19件に上りました。9時過ぎに、故・上田卓三さんの残された政経懇談会をのぞきましたが、ちょうど終ったところでした。

 

9時半から、議員総会。私が、今国会最後の挨拶をし、安倍官房長官の靖国参拝発言や杉浦法相の死刑発言のゆれなどを挙げて、新内閣のお粗末さを強調しておきました。

 

10時から、本会議。高齢者虐待防止法案が全会一致で可決、成立しました。法務関係と厚生労働関係の請願計20件が採択され、会期末処理をして、休憩とな

りました。

 

11時から1時間強、常任幹事会。役員会で確認した懸案事項が報告され、総選挙総括案につき意見交換しました。12時になり、前原代表らと一緒に自民党の

武部幹事長らのご挨拶をお受けしました。1215分、議員総会の続きにちょっ

と遅れて出席し、会派の皆さんに国会終了の挨拶をしました。その後、本会議は休憩のまま散会となりました。

 

13時半から1時間半、両院議員懇談会。前原代表が、臨時国会召集要求に触れて、国会が終わったわけではないと緊張感を保つよう求められました。今年はまだ2ヶ月も残っています。次いで鳩山幹事長、松本政調会長、玄葉幹事長代理から、国会対応、議員年金廃止、総選挙総括について提案があり、前2者を了承した後、総括につき緊張した意見交換をしました。最後に私が参議院議員会長として、閉会に当たり総括的挨拶をしました。

 

その後、取材や来客。岡山県出身の大学生らで作っている岡山県青年会新役員の奥田圭祐君が挨拶に来られました。私の高校後輩で、大学4年生。就職も決まったそうで、頼もしい限りです。17時から、民主党・新緑風会でご苦労願っ

ている党職員の皆さんらと夕食懇談会。今年はお盆休暇もなく、大変でした。

 

 

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112() 安住さん、法務、テレビ、高橋さん、コーラス、帰岡今日は朝ゆっくりし、11時から、選対委員長の安住淳さん、参院幹事長の輿石東さんと打ち合わせ。その間に、法務省の皆さんが次々に挨拶に来られました。

まず、官房長、次に新法相の杉浦正健さん、そして前法相の南野知恵子さんです。法律のずぶの素人から精通した弁護士へと交代したのですが、吉と出るか凶と出るか、予断を許しません。得意分野で失敗することは、よくあることです。

13時半、シーブィミックスというテレビのインタビューの録画取り。前原民主党の役員に聞くという番組で、15分ほど質問に答えました。その後は、国会図書館の分室が議事堂内に衆参ともにあり、読書室にパソコンが備えられたので、

こもってデスクワーク。議員会館の部屋では、原稿書きはできません。

17時から、高橋愛子さんが打ち合わせに来られました。竹村泰子さんの秘書をしていましたが、今は聖学院大学の助教授。来週、難民問題などをテーマに、学生諸君が私の話を聞いてくれるのです。

 

18時から2時間、国会コーラスの練習。やっと音が揃ってきたという段階で、来週から特訓が必要です。最終新幹線で、帰岡。柚木道義さんをはじめ、国会議員が数名一緒で、新大阪から津村啓介さんも乗って来ました。

[毎日本人が書いています]    http://www.eda-jp.com/

みやぎ知的障害者施設解体宣言
ちてきしょうがいしゃしせつかいたいせんげん宮城県内にある知的障害者の入所施設を解体して、知的障害者が地域の中でみやぎけんないちてきしょうがいしゃにゅうしょしせつかいたいちてきしょうがいしゃちいきなか
、生活できるための条件を整備することを宮城県の障害者施策の方向とすることをせいかつじょうけんせいびみやぎけんしょうがいしゃしさくほうこうここに宣言する。
せんげん
宮城県福祉事業団は、平成14年11月23日、船形コロニーを2010年までみやぎけんふくしじぎょうだんへいせいねんがつにちふながたねんに解体し入所者全員を地域生活に移行させるという施設解体みやぎ宣言を発、、「」かいたいにゅうしょしゃぜんいんちいきせいかついこうしせつかいたいせんげんはっした。
宣言を発するに至った背景としては、知的障害者本人の希望と関わりなく、せんげんはっいたはいけいちてきしょうがいしゃほんにんきぼうかか施設入所を当然のこととしてきたのではないかという疑問があった。
施設運営に関しせつにゅうしょとうぜんぎもんしせつうんえいかかわる職員としては、自分たちの仕事の意義に対する、真剣な反省である。
しょくいんじぶんしごといぎたいしんけんはんせいこの疑問、反省は、船形コロニーだけにあてはまるものではない。船形コロニーはぎもんはんせいふながたふながた知的障害者の中でも、特に重度の障害を持つ人たちを処遇する場として特別にちてきしょうがいしゃなかとくじゅうどしょうがいもひとしょぐうばとくべつ設置されたものであるから、地域生活への移行を言うならば、県内の入所施設の中せっちちいきせいかついこういけんないにゅうしょしせつなかでは、順番としては一番最後になってもおかしくない位置付けである。
にもかかわらじゅんばんいちばんさいごいちづず、施設解体宣言を発したということの重みを、 十分に考える必要がある。
しせつかいたいせんげんはっおもじゅうぶんかんがひつよう知的障害を持った人たちの幸福を実現することこそが、障害福祉の仕事の目的ちてきしょうがいもひとこうふくじつげんしょうがいふくししごともくてきであるという原点に戻って考えたい。
地域の中にこそ普通の生活がある。適切なげんてんもどかんがちいきなかふつうせいかつてきせつ支援措置さえあれば、重度の障害を持った人たちであっても地域での生活を送るこしえんそちじゅうどしょうがいもひとちいきせいかつおくとができること、そして、それが知的障害者の生活を豊かなものにすることは、こちてきしょうがいしゃせいかつゆたれまでの多くの実践の中で実証されている。
おおじっせんなかじっしょう船形コロニーの解体宣言から1年余経った今こそ、宮城県全体として、船形コふながたかいたいせんげんねんあまりたいまみやぎけんぜんたいふながたロニー解体宣言の普遍化をなすべき時である。つまり、知的障害者の入所施設をかいたいせんげんふへんかときちてきしょうがいしゃにゅうしょしせつ解体し、入所者の地域生活への移行を図ることを、宮城県全体の障害福祉の方向かいたいにゅうしょしゃちいきせいかついこうはかみやぎけんぜんたいしょうがいふくしほうこうとして、明確に示す必要がある。
それが、今、このような宣言を発する理由である。
めいかくしめひつよういませんげんはっりゆう宣言の背景には、これまでの障害福祉施策への真剣な反省がある。
知的障害者せんげんはいけいしょうがいふくししさくしんけんはんせいちてきしょうがいしゃ、、、への各種の施策が量的にも質的にも貧しかった頃知的障害者施策の中心はかくしゅしさくりょうてきしつてきまずころちてきしょうがいしゃしさくちゅうしん施設入所であった「親亡き後」の知的障害者の生活をどうやって保証し、年老い。
しせつにゅうしょおやなあとちてきしょうがいしゃせいかつほしょうとしおていく親に安心感を与えるかが大きな関心事であったとも言える。施設入所は、こおやあんしんかんあたおおかんしんじいしせつにゅうしょういった環境の下で、頼りになる施策に思えたのは、ある意味で当然である。
かんきょうもとたよしさくおもいみとうぜん入所施設での処遇に比べれば地域生活支援施策は歴史的にも浅いものであり目、、、にゅうしょしせつしょぐうくらちいきせいかつしえんしさくれきしてきあさめに見えるインパクトとしても施設のように目立たない。
一握りの先進的な取組みとしみしせつめだひとにぎせんしんてきとりくて存在し、特に、親達から見えないし、見えたとしても頼りにならないものと認識さそんざいとくおやたちみみたよにんしきれていた時代が長く続いている一方において入所施設は多くの職員と関係者。、、じだいながつづいっぽうにゅうしょしせつおおしょくいんかんけいしゃを抱える確固たる存在として、永久に存続するものとして受け止められている。
かかかっこそんざいえいきゅうそんぞくうと「解体」という発想は、普通は出てくるものではない。
かいたいはっそうふつうでそういった状況の中で、知的障害者本人の幸せとは何かが真剣に問われるこじょうきょうなかちてきしょうがいしゃほんにんしあわなにしんけんと、。
「、」、とがないままに障害福祉の仕事は成り立っていたあなたはどこに住みたいのかしょうがいふくししごとなたす「あなたは、誰と暮らしたいのか「そもそも、あなたは、何をしたいのか」という問」、だれくなにと
い自体が発せられないまま、入所施設に入っているのが一番幸せと、外部から決めじたいはっにゅうしょしせつはいいちばんしあわがいぶきつけられる存在としての知的障害者という図式である。
障害福祉の仕事は、知的そんざいちてきしょうがいしゃずしきしょうがいふくししごとちてき障害者の幸せを最大にすることを目的とするという見地からは、障害者に対ししょうがいしゃしあわさいだいもくてきけんちしょうがいしゃたいてまずこの問いが発せられなければならないそしてその答を模索することが求、、。、とはっこたえもさくもとめられる。
知的に障害を持っていることによって、特別なニーズが生じる。特別なニーズがちてきしょうがいもとくべつしょうとくべつ、。あったとしても知的障害者が普通の生活を送ることを断念する理由にはならないちてきしょうがいしゃふつうせいかつおくだんねんりゆう障害福祉の仕事は、その特別なニーズにどう応えていくかということである。普通のしょうがいふくししごととくべつこたふつう生活は施設の中にはない地域にしかないであるとすれば地域の中で知的障害。。、、
せいかつしせつなかちいきちいきなかちてきしょうがいゆえに発生する特別なニーズに応えていくことこそが、障害福祉の仕事である。グはっせいとくべつこたしょうがいふくししごとループホームがある。
日常生活の援助がある。金銭管理、人権擁護、就労の確保にちじょうせいかつえんじょきんせんかんりじんけんようごしゅうろうかくほなどなど、やるべきことはたくさんある。
宮城県での知的障害者への福祉が目指すべきは、この方向である「施設解体」を。みやぎけんちてきしょうがいしゃふくしめざほうこうしせつかいたい宣言しても、解体することに目的があるのではない。あくまでも、知的障害を持っせんげんかいたいもくてきちてきしょうがいもた人たちが、普通の生活を送れるような条件整備をすることに主眼がある。
そのよひとふつうせいかつおくじょうけんせいびしゅがんうな条件整備がなされれば、入所施設は不要になる、つまり解体できるということ
じょうけんせいびにゅうしょしせつふようかいたいになる宮城県の障害福祉のありようとしてこういった方向に進んでいくことを少。、
みやぎけんしょうがいふくしほうこうすすすこしでも早めるように各種施策を準備するという宣言でもある。
はやかくしゅしさくじゅんびせんげん宮城県内の知的障害者の入所施設を、即刻解体すべしと言おうとしているのでみやぎけんないちてきしょうがいしゃにゅうしょしせつそっこくかいたいい。、、、、
はない時間はかかっても目指すべきは施設解体まずはそれが可能になるためのじかんめざしせつかいたいかのう地域生活支援の施策の充実である。県内のそれぞれの入所施設において、このことちいきせいかつしえんしさくじゅうじつけんないにゅうしょしせつを念頭に置いて仕事をするのと、全く考えずに日々を過ごすのとでは、大きな違いねんとうおしごとまったかんがひびすおおちがが出てくるそれぞれの施設において解体が可能になるまでにやるべきことは何か何。、、
でしせつかいたいかのうなになにが障害になるのか、障害をなくすための方策、こういったことを現場の職員を交しょうがいしょうがいほうさくげんばしょくいんまじ
えて真剣に討議し、行動することが求められる。
しんけんとうぎこうどうもと繰り返して言う。障害福祉の目的は、障害者が普通の生活を送れるようにするくかえいしょうがいふくしもくてきしょうがいしゃふつうせいかつおくことであるそのために今それぞれの立場で何をなすべきかたどり着くべき島影。、、。
いまたちばなにつしまかげをしっかりと視野に入れて、船の進むべき方向は間違わないように荒波を乗り越えつしやいふねすすほうこうまちがあらなみのこつ進んでいかなければならない。たとえ時間はかかっても、必ず目指す島に到達するすすじかんかならめざしまとうたつことはできると信じている。同じ船に一緒に乗り込んで欲しい。しんおなふねいっしょのこほ
平成16年2月21日
へいせいねんがつにち
宮城県知事浅野史郎みやぎけんちじあさのしろう
  当選してる!?→ http://cgi.mag2.com/cgi-bin/w/mag?id=728_051103

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みやぎ知的障害者施設解体宣言
ちてきしょうがいしゃしせつかいたいせんげん宮城県内にある知的障害者の入所施設を解体して、知的障害者が地域の中でみやぎけんないちてきしょうがいしゃにゅうしょしせつかいたいちてきしょうがいしゃちいきなか
、生活できるための条件を整備することを宮城県の障害者施策の方向とすることをせいかつじょうけんせいびみやぎけんしょうがいしゃしさくほうこうここに宣言する。
せんげん
宮城県福祉事業団は、平成14年11月23日、船形コロニーを2010年までみやぎけんふくしじぎょうだんへいせいねんがつにちふながたねんに解体し入所者全員を地域生活に移行させるという施設解体みやぎ宣言を発、、「」かいたいにゅうしょしゃぜんいんちいきせいかついこうしせつかいたいせんげんはっした。
宣言を発するに至った背景としては、知的障害者本人の希望と関わりなく、せんげんはっいたはいけいちてきしょうがいしゃほんにんきぼうかか施設入所を当然のこととしてきたのではないかという疑問があった。
施設運営に関しせつにゅうしょとうぜんぎもんしせつうんえいかかわる職員としては、自分たちの仕事の意義に対する、真剣な反省である。
しょくいんじぶんしごといぎたいしんけんはんせいこの疑問、反省は、船形コロニーだけにあてはまるものではない。船形コロニーはぎもんはんせいふながたふながた知的障害者の中でも、特に重度の障害を持つ人たちを処遇する場として特別にちてきしょうがいしゃなかとくじゅうどしょうがいもひとしょぐうばとくべつ設置されたものであるから、地域生活への移行を言うならば、県内の入所施設の中せっちちいきせいかついこういけんないにゅうしょしせつなかでは、順番としては一番最後になってもおかしくない位置付けである。
にもかかわらじゅんばんいちばんさいごいちづず、施設解体宣言を発したということの重みを、 十分に考える必要がある。
しせつかいたいせんげんはっおもじゅうぶんかんがひつよう知的障害を持った人たちの幸福を実現することこそが、障害福祉の仕事の目的ちてきしょうがいもひとこうふくじつげんしょうがいふくししごともくてきであるという原点に戻って考えたい。
地域の中にこそ普通の生活がある。適切なげんてんもどかんがちいきなかふつうせいかつてきせつ支援措置さえあれば、重度の障害を持った人たちであっても地域での生活を送るこしえんそちじゅうどしょうがいもひとちいきせいかつおくとができること、そして、それが知的障害者の生活を豊かなものにすることは、こちてきしょうがいしゃせいかつゆたれまでの多くの実践の中で実証されている。
おおじっせんなかじっしょう船形コロニーの解体宣言から1年余経った今こそ、宮城県全体として、船形コふながたかいたいせんげんねんあまりたいまみやぎけんぜんたいふながたロニー解体宣言の普遍化をなすべき時である。つまり、知的障害者の入所施設をかいたいせんげんふへんかときちてきしょうがいしゃにゅうしょしせつ解体し、入所者の地域生活への移行を図ることを、宮城県全体の障害福祉の方向かいたいにゅうしょしゃちいきせいかついこうはかみやぎけんぜんたいしょうがいふくしほうこうとして、明確に示す必要がある。
それが、今、このような宣言を発する理由である。
めいかくしめひつよういませんげんはっりゆう宣言の背景には、これまでの障害福祉施策への真剣な反省がある。
知的障害者せんげんはいけいしょうがいふくししさくしんけんはんせいちてきしょうがいしゃ、、、への各種の施策が量的にも質的にも貧しかった頃知的障害者施策の中心はかくしゅしさくりょうてきしつてきまずころちてきしょうがいしゃしさくちゅうしん施設入所であった「親亡き後」の知的障害者の生活をどうやって保証し、年老い。
しせつにゅうしょおやなあとちてきしょうがいしゃせいかつほしょうとしおていく親に安心感を与えるかが大きな関心事であったとも言える。施設入所は、こおやあんしんかんあたおおかんしんじいしせつにゅうしょういった環境の下で、頼りになる施策に思えたのは、ある意味で当然である。
かんきょうもとたよしさくおもいみとうぜん入所施設での処遇に比べれば地域生活支援施策は歴史的にも浅いものであり目、、、にゅうしょしせつしょぐうくらちいきせいかつしえんしさくれきしてきあさめに見えるインパクトとしても施設のように目立たない。
一握りの先進的な取組みとしみしせつめだひとにぎせんしんてきとりくて存在し、特に、親達から見えないし、見えたとしても頼りにならないものと認識さそんざいとくおやたちみみたよにんしきれていた時代が長く続いている一方において入所施設は多くの職員と関係者。、、じだいながつづいっぽうにゅうしょしせつおおしょくいんかんけいしゃを抱える確固たる存在として、永久に存続するものとして受け止められている。
かかかっこそんざいえいきゅうそんぞくうと「解体」という発想は、普通は出てくるものではない。
かいたいはっそうふつうでそういった状況の中で、知的障害者本人の幸せとは何かが真剣に問われるこじょうきょうなかちてきしょうがいしゃほんにんしあわなにしんけんと、。
「、」、とがないままに障害福祉の仕事は成り立っていたあなたはどこに住みたいのかしょうがいふくししごとなたす「あなたは、誰と暮らしたいのか「そもそも、あなたは、何をしたいのか」という問」、だれくなにと
い自体が発せられないまま、入所施設に入っているのが一番幸せと、外部から決めじたいはっにゅうしょしせつはいいちばんしあわがいぶきつけられる存在としての知的障害者という図式である。
障害福祉の仕事は、知的そんざいちてきしょうがいしゃずしきしょうがいふくししごとちてき障害者の幸せを最大にすることを目的とするという見地からは、障害者に対ししょうがいしゃしあわさいだいもくてきけんちしょうがいしゃたいてまずこの問いが発せられなければならないそしてその答を模索することが求、、。、とはっこたえもさくもとめられる。
知的に障害を持っていることによって、特別なニーズが生じる。特別なニーズがちてきしょうがいもとくべつしょうとくべつ、。あったとしても知的障害者が普通の生活を送ることを断念する理由にはならないちてきしょうがいしゃふつうせいかつおくだんねんりゆう障害福祉の仕事は、その特別なニーズにどう応えていくかということである。普通のしょうがいふくししごととくべつこたふつう生活は施設の中にはない地域にしかないであるとすれば地域の中で知的障害。。、、
せいかつしせつなかちいきちいきなかちてきしょうがいゆえに発生する特別なニーズに応えていくことこそが、障害福祉の仕事である。グはっせいとくべつこたしょうがいふくししごとループホームがある。
日常生活の援助がある。金銭管理、人権擁護、就労の確保にちじょうせいかつえんじょきんせんかんりじんけんようごしゅうろうかくほなどなど、やるべきことはたくさんある。
宮城県での知的障害者への福祉が目指すべきは、この方向である「施設解体」を。みやぎけんちてきしょうがいしゃふくしめざほうこうしせつかいたい宣言しても、解体することに目的があるのではない。あくまでも、知的障害を持っせんげんかいたいもくてきちてきしょうがいもた人たちが、普通の生活を送れるような条件整備をすることに主眼がある。
そのよひとふつうせいかつおくじょうけんせいびしゅがんうな条件整備がなされれば、入所施設は不要になる、つまり解体できるということ
じょうけんせいびにゅうしょしせつふようかいたいになる宮城県の障害福祉のありようとしてこういった方向に進んでいくことを少。、
みやぎけんしょうがいふくしほうこうすすすこしでも早めるように各種施策を準備するという宣言でもある。
はやかくしゅしさくじゅんびせんげん宮城県内の知的障害者の入所施設を、即刻解体すべしと言おうとしているのでみやぎけんないちてきしょうがいしゃにゅうしょしせつそっこくかいたいい。、、、、
はない時間はかかっても目指すべきは施設解体まずはそれが可能になるためのじかんめざしせつかいたいかのう地域生活支援の施策の充実である。県内のそれぞれの入所施設において、このことちいきせいかつしえんしさくじゅうじつけんないにゅうしょしせつを念頭に置いて仕事をするのと、全く考えずに日々を過ごすのとでは、大きな違いねんとうおしごとまったかんがひびすおおちがが出てくるそれぞれの施設において解体が可能になるまでにやるべきことは何か何。、、
でしせつかいたいかのうなになにが障害になるのか、障害をなくすための方策、こういったことを現場の職員を交しょうがいしょうがいほうさくげんばしょくいんまじ
えて真剣に討議し、行動することが求められる。
しんけんとうぎこうどうもと繰り返して言う。障害福祉の目的は、障害者が普通の生活を送れるようにするくかえいしょうがいふくしもくてきしょうがいしゃふつうせいかつおくことであるそのために今それぞれの立場で何をなすべきかたどり着くべき島影。、、。
いまたちばなにつしまかげをしっかりと視野に入れて、船の進むべき方向は間違わないように荒波を乗り越えつしやいふねすすほうこうまちがあらなみのこつ進んでいかなければならない。たとえ時間はかかっても、必ず目指す島に到達するすすじかんかならめざしまとうたつことはできると信じている。同じ船に一緒に乗り込んで欲しい。しんおなふねいっしょのこほ
平成16年2月21日
へいせいねんがつにち
宮城県知事浅野史郎みやぎけんちじあさのしろう
2005年11月13日 18:29:53


平成16111